“死の体験旅行”体験記

お寺主催のイベント、“死の体験旅行”。

人気イベントなだけあり、なかなか予約が取れずにいましたが、満を持して5月に参加することが出来ました。

ご住職より「ブログ等に書く際は、今後参加する方の為に、詳しい内容を書かないように」とお話があったので、超個人的感想として書かせて頂きます。

 

「寺子屋ブッダ“死の体験旅行”」ページより

 スマホを切って、死の体験旅行に出発しましょう!
「死ぬ」から「生きる」を学ぶ2時間。

大切なものと出会える時間があなたを待っています。

《本当に大切なものは何か?》
自分が病にかかり、病気が進行し、やがていのちを終えていく物語を追体験する「死の体験旅行」。自分にとって「生と死」とは何か?本当に大切にしていることは何か?ワークショップを通して考えていきます。

 

「大切に思っているものとの別れ」を意識する体験です。
大切なものとは別れ難くも、遅かれ早かれ、かならず最期の時はやってきます。

普段からものを捨てられず、人との別れ際にもぐずぐずと別れを惜しむ私には、初めなかなかきつい時間でした。
「大事とわかっていて大事にできていない人」が思い出されて、そのまま死を迎えるにあたり、思い残しはあるにせよ、「映画や文学、芸術を愛した人生だった」と思えれば、なんとか人生に「。」を打てる、そう思いました。

逆に、大事だと思っているものも、死を目の前にしたら簡単に手放せるものもありましたし、時間が進むにつれ、別れに慣れていく意外とドライな自分もいて発見でした。(実際の死が近づいた時、大事なものとの別れや死そのものを受け入れるには、こんな心境を経るのだろうと思えました)

ワークショップの最後には、自分の体験を参加者とシェアします。発表は「パス」することもでき、自分だけの気づきとして持ち帰ることもできます。ここで、他の方が自分の人生にどう取り組んでいらっしゃるかを聞けたりして、思いもかけないヒントがもらえるかもしれません。
逆に、他の方との考えの違いをはっきり感じることも、自分の人生の手応えにもなりそうです。

ワークショップの終盤には、ご家族を残して逝かねばならない辛さで涙を流されている方もいて、その方は、きっとご家族への想いを強くされ、ご自宅に帰られるのだろうな…。と、独り身の自分を思ったりもしました。

 

私は今回、近年お母様を亡くされた人生の先輩と参加しました。お母様を看取った経験から、自分の死に方をとても意識されている方で、このイベントに参加したことで、決意をより強くされたようでした。

日常で死を意識することは、あまりありません。
ましてや、“自分の死”を肌感覚としてもつような瞬間は、まずないのではないでしょうか。

車谷長吉という私の好きな作家さんがいますが、新聞の悩み相談の一部でこんな文章がありました。

「人はある年齢に達すると、自分にもいずれ死が来ることをはっきり覚悟する必要があります。極端に言えば、そこからはじめて真(まこと)の人生は始まるのです」

疑似体験だとしても、自分の命が残り僅か、というリミットを伴う感覚での体感は、今後の人生を想うときの助けになると思います。私は40歳の誕生日を目前としていたこともあり、今後の人生で、何をどうしたいか、を具体的に考えられました。
私は“これをやり残しちゃ死ねない”夢が多かったのですが、死に近づくのは肉体を伴うイメージなので、体力の限界もふまえているところが、現実味を帯びていました(笑)。

実感を伴う体験こそが、ワークショップに参加する意義ですね。
参加して良かったと思うのは、色んな気づきが、イベント参加の後からじわじわ来るからです(笑)。
体験しないとわからないことではあるのですが、人に話したときに、面白がって聞いてもらえます。あまり重くもなりすぎずに、その人の価値観に沿って話せるので、いい話題をひとつもらえた気がします。

“死の体験旅行”、少しの心苦しさと、多くの気づきがありました。

皆さんにお勧めしたい、人生を想う2時間の旅です。

少し詳しい紹介サイトもありました☆

「死の体験旅行」に申し込み殺到−−お寺主催イベントで“死”と“人生”を考える

(キャリアコンパスby DODA)